わたしの思い

このページでは、私の今までの音楽人生を振り返って、感じたことをありのまま綴っています。私という人間がどのような人間か、そして今どんなことを感じているのか、さらけ出すのは恥ずかしさもありますが、少しでも共感してくださる方がいらしたら嬉しいです。関心を持ってくださる方はどうぞこっそりお読み下さいね。~

『生活の中に音楽を♪心が動くピアノレッスン』をモットーとする私の現在のピアノ指導スタイルは、実は私自身が過去に受けてきたレッスンとは大きく異なっています。


私が今まで受けてきたレッスンとは次のようなものでした。

①小学生~高校生の頃に受けたレッスン

ごくごく普通の地元の個人ピアノ教室に通っていました。
先生は親切な優しい方で、「練習しなさい」と怒られた記憶はありません。(笑)
練習はあまり真面目にしていきませんでした。先生のお家にある漫画をレッスン後に読みふけるのが楽しみでした・・・汗。
「フォルテは強く、ピアノは弱く」といった指導のもと育ってきたので、それ以上の表情のつけ方やタッチのことなどは指導された記憶がありません・・・。
(この当時はこのようなピアノレッスンがスタンダードだったのかもしれません。)
歌心はむしろ、小学校のコーラス部で学んだような気がします。
ソルフェージュは、五線ノートを使って音符を読んだり書いたりした程度で、音符やリズムは読めるようになりましたが、
調性のことなどはほとんど何も知らず、聴音や新曲視唱は高校生になって初めて体験しました。
それでも、そこそこ理解力が早く手先もわりと器用だったせいか、レッスンは順調に進み、バッハやツェルニー、ソナチネ、ソナタ、ショパンなどを演奏するようになりました。

高校3年になって学校の勧めで、一年間だけ紹介された先生にレッスンに通いました。
今まで受けたことのないような指導で、新鮮かつとても学びになりました。
ピアノの成績もぐんと良くなりました。この頃から、ピアノレッスンというものに対する奥深さを探求することとなります。

②大学生の頃に受けたレッスン

音大に入って、大学で割り振られた先生について教えていただくようになりました。
教育学部だったため、ピアノレッスンの時間は一人20分程度。それでは足りないので、おのずと先生のご自宅へ通い1時間の個人レッスンを受けるようになりました。(大学の先生なのでレッスン代もかなりかかります。)
が、「こう弾きなさい」「ああ弾きなさい」と表現力の指導をされるものの、うまくできません。
そのうち先生にあきれられ、大学での短い20分のレッスンすら5分で終わって帰されてしまうこともありました。(それほど私のレベルが低かったということかもしれませんが、同じ門下のピアノ科の友人もあまり満足な指導をしてもらえないと嘆いていました。)
「弾けるようになるためにはどんな練習をしたら良いのか?それを教えてくれるのが本当のレッスンではないのか?」と疑問に感じました。だんだんとピアノを弾くことが苦痛になり、先生の顔色を伺いながら、無意識的に「先生に気に入られる音楽を弾く」という、受け身の姿勢に変わっていきました。
毎回レッスンに行くことに恐れを感じてしまい、緊張と義務感から練習をしていました。大学卒業後はレッスンに通うことはなくなりました。

その後転機が訪れました。

一つ目は、結婚して海外で生活したこと。
海外でピアノを演奏した時、想像以上に皆さんに喜んでいただけたことが大きな励みになりました。
正直ピアノコンプレックスだった私が、少しずつ自信を取り戻し、ピアノを弾く喜びを感じるようになりました。
「言葉が通じなくても音楽は通じる」ことを身を持って体験し、海外生活の孤独や子育ての大変さの中でもピアノが心の慰めとなりました。

二つ目は、大きな病気を経験したこと。
健康にはわりと自信があった私でしたが、日本帰国後に乳癌が見つかり摘出手術を受けました。
短期間ですがピアノも弾けなくなり、ピアノがない生活の単調さを経験しました。身体も弱り、レッスンもしばらくお休みをいただきましたが、そんな時に心の慰めと励ましになったのはYoutubeのピアノ演奏動画を聴くことと自らピアノに向かうことでした。
「私もこんな風に人に感動を与える演奏がしたい」と強く思うようになりました。

時を前後して、現在の恩師に巡り会い、今もレッスンを受けています。
今まで習って来なかった沢山のことを教えていただきながら、私の弾きたい音楽を尊重してくださる先生の元で学ぶレッスンはとても楽しく充実感があります。

このような経験から、今のレッスンスタイルが生まれました。

子どもの自主性を大切にしつつ、音楽の素晴らしさを伝えること。
表情のつけ方、曲にふさわしいタッチ、美しい音色を生徒とともに考え探りながら、「じゃあどうしたらそれができるようになるか?」きちんと練習方法を伝えること。

一方的な音楽表現の押し付けをせず、主体的に表現できる子どもを育てること。

それは、ひょっとしたらすごく時間がかかって、回り道もするかもしれません。
けれど、音楽は目的ではなく手段だと私は考えています。
手段だとしたら目的は何でしょう?

それは、いつでもだれでも心満たされた豊かな毎日を過ごすことではないかと思っています。

ピアノを弾くことは簡単ではありません。
練習は楽しいことではないでしょう。

でも、毎日コツコツ頑張った先にあるキラキラ光った喜びを感じることができたなら、「よし、今日も頑張ってみよう」と思えるのではないでしょうか。

『ピアノのレッスンはあまり叱ったり怒ったりするべきではない』と思っている私ですが、致し方なく子どもたちを叱る時もあります。

それは、

「やればできるはずなのに、できないと言ってやろうとしない時」
「一生懸命やるべき時に、ふざけている時」

そんな時は、真剣に子どもの目を見て注意をします。
それはその子が、自分で自分の力に制限をしてしまっているからです。もったいないことです。

地面に植えた種は、それぞれ芽を出すタイミングも、花を咲かせるタイミングも異なります。

私にできることは、植えた種がきれいな花を咲かせることを信じて、地道に水をやり、栄養を与え、お世話をすることです。

「一体どんな色のお花が咲くのだろう?」と、ドキドキワクワクしながら・・・。

そんな思いに共感してくださる方が私のお教室にいらしてくださったら良いなと願いつつ、小さなレッスン室にてあなたのお越しをお待ちしています。

和田 円佳 / Madoka Wada